someone's notebook

誰かさんの書いたジャポニカ学習帳

合理性という名の病理、あるいは自己管理

私たちは、何かに従う必要がある。

それは、理性だったり法律だったり道徳だったりする。

常識?普通?誰かが言ってた?

親?先生?偉い人?凄い人?

私は父に「配慮が足りない」と注意を受けることが多々ある。

それはその通りで、私は少しばかり人の気持ちを慮るのが苦手だ。


さて、本題。


今日も喫茶店でくつろいでいると、隣の隣くらいから話し声が聞こえてきた。

スマートフォンの地図を見れば、どこの会社が測量したかが分かる」
「これ(GPSやMAP)を上手く利用することが出来れば、商売になる」
「そんな管理を営業がされたらかなわんよ」

他愛のない世間話というか、仕事の合間の休憩のようだ。

それにしても、地図を見ただけで測量会社を見抜くとは、なかなかだ。

「昔はもっと自由だった。今は時代がね。」

そう言って、おじ様達はお昼のドトールが混雑することを見越したように、
屋外の食器置きに向かっていった。


私は、なぜ管理が必要になるのかを暫く考えていた。
おそらく、管理職になれば部下の管理が必須だ。
それに経営陣や株主なら、なおさらだ。

「経営者目線を持つことは大事だよ。」

これは大川畑さんという方に言われたことなんだけど、流石、将来お店を開くことが約束された男は言うことが違う。


私は、人が何か "Someone" を管理する背景には合理主義があると考えた。
それは商業主義や資本主義とは少々毛並みが違うように思える。

アメリカといえば、熱狂的な愛国心と合理主義の工業国だと私は認識している。

私は、日本がアメリカを追随していると世の中で散々揶揄されているのを知っている。
(もちろん、それはグローバリゼーションの一つの形であり、世界情勢だ。)

翻って、ドイツはどうだろうか?

彼らはEUにおいてリーダーシップをとる欧州の雄だ。
(むろん、周辺国、とりわけフランスやオランダなどの女房役も必須だ。)

対アメリカ、対グローバル化を考えた時、金子勝教授はローカライズが反作用として起きると述べた。

だが、今日の日本の地方都市に活気がみなぎっているとは到底思えない。。。


閑話休題。


話を戻すと、誤解を恐れずに言えば、合理主義とは社会的な病理なのではないかということだ。
それが私の考えだ。

皆が歯車の上で精一杯動く機械のようになってはいけないと思う。

なぜか?

我々には我々の方法があるからだ。
ただ懸命に泳いでも、泳ぎは上達しないし、賢明ではない。
私は水泳の経験者の友達に、泳法を教わった。

そして、私が海を泳ぐ「抜き手」と呼ばれる泳法が得意なことを知った。

私たちが「学習する」ということはそういうことではないだろうか。

社会や世界への対応能力
仕事やスポーツ、勉学に対する向き不向き
取引を行う双方のミスマッチ

そして過酷な労働の強要。

私はNoと言う。


それは怠慢だからではないし、機会や能力の問題でもない。

マイペースだからだ。


Because I gonna go my way, and maybe B or … A.

All human beings will be happy when they feel happy.


他己は管理したくないけど、自己管理はきちんとしよう。
やっと朝型生活に戻ってきました。。。

I never know the "Risk", because I'm a dangerous man, of course, you know.
Maybe risk management is lower than my price now, but in the future, we never know.

Fork me on GitHub