someone's notebook

誰かさんの書いたジャポニカ学習帳

不思議なこと

食事は不思議なことに活力を与える。
読書は僅かな知識、知恵、経験を与える。
睡眠は束の間の休息と忘却を与える。
絵画は感動と刺激を与える。

人は私に苦悩と気の迷いを与える。

木は年輪を重ねるにつれて太く逞しくなる。
枯れる木、倒木、そして建物に使われることもある。

ところで、一円玉には木のシンボルが存在する。
これは公募されたものだが、採用に至るまでには経緯があり、意図がある。

木、稲穂、平等院鳳凰堂、えーと、500円玉は知らないな。。
夏目漱石樋口一葉福澤諭吉。。

外貨のことはあまり詳しくないけれども、象徴には意味がある。

翻って絵画や写真についても同様で、勿論鑑賞するものであるから人によって解釈は様々だ。

或る人は技法に着目する。
或る人は背景に着目する。
或る人は人物に着目する。

特に藝術分野については是迄の私の人生に於いて深く関わりを持つことがなかったため、私にとっては理解することが難しい。

なんとなく不思議なこととしては自由とは何かということだ。

おそらく、現代に於いて自由とは権限と制約を意味する。
父親の受け売りの言葉では、「自由と責任」だと、よく云われたものだ。

権限とは選択の自由であり、故に選択肢が多かったり特殊または限定的であるという事はそれ自体が一種の権力となる。

制約とは法律や道徳であり、守らなければならない不文律である。

遵守すべき事は多い。
(喩えば喫煙、礼儀、挨拶、そして不道徳かつ罪になる凡ゆる物事の禁止。)

ここで、私は生粋のフェミニストではないと断っておく。

或る人は現代日本は「女性的な社会」と述べた。
それは余りにも制約が強く、姦しいという意味だ。
私もそれに同感する。

慣習の定着と時流は避けようがないだろうと半ば諦観していますが。。


閑話休題。


そういえば興味深いと思ったのは、鬱病の研究をされている精神科医である神庭重信先生が講演に於いて「企業が若者を積極的に取り入れなくなった」と指摘していた。

たしかに、ジェネレーションギャップというだけでは説明がつかないほどの価値観の相違が見え隠れするような気がする。

私の母は最近の若い人は優秀に映ると述べていた。もしかすると取捨選択の結果、就労している目に見える若者は平均以上になっているのかもしれない。
(彼女は職業柄、比較的孤独な作業を強いられ、それほど協業することがないからかもしれない。)

さて、NEETやフリーターは悪だろうか?
そして精神衛生上の理由でドロップアウトした人間は組織にとって忌避すべき対象か?
ホームレスや生活保護受給者はどうだろうか?

勿論、私は専門家ではなく只の素人だ。

私は仕事においては効率性と実効性を重視するが、リスクは回避する前に管理する。

私見を述べるならば、最終的にはお会いして会話した際の印象と人となりが全てだ。
しかしながら、これは勘違い、誤解、思いこみを増長させる。



結局のところ、直接会って話し合ってみる他ない。
話が通じる相手なら幸運なのだろうけれども。。

最も不思議なことは、私の書いた文章には解釈が存在するということだ。
そして、大抵は私の意図とは別の意味で捉えられるということである。

別に文学作品を書いてるつもりはないんだけど。。。

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