someone's notebook

誰かさんの書いたジャポニカ学習帳

自動車事故はなぜ起きるのか

私の家の近くに、信号はあるが、曲がる時に歩道が死角となり
普段歩いているだけでヒヤリとさせられる場所がある

つい先日、妻ともうすぐ1歳になる子どもを乗せた
ベビーカーをひいて歩いていたところ妻もやはり危ない、と漏らしていた

この危ない、という感覚はもし気づかずに歩道を突き進んでしまった場合
出会い頭で轢かれてしまうだとか、お互い立ち止まって牽制しあってしまうとか、
クラクションが鳴らされるとかを想定してのことだ
本能的に、また経験的に、潜在するリスクを感じとっている

実際にその場所で事故が起きたことがあるかは定かではないし
少し調べないことには不明のままだ

だが、特別なことがない限りは、誰も自ら進んで調べないし、その必要性も低いだろう

私は解決策としてはミラーの設置とか、信号以外にも見通しが悪いことにより気をつけるべきだとする注意喚起が必要だとふと考えた

それは事故が起きた後の責任の所在がドライバーにある、という口実のためではない

単に、人が少し注意したところでは状況はあまり変わらないだろうし
普段から通っている道ならともかく、初めてその場所を訪れるドライバーには
どうしようもないと思うからだ

わかりやすい目印で政府など管理する側が市民の安全を担保すべきだと考えた
これは仕組みを少し工夫すれば未然に防げる、と考えてのことで、
私の「交通事故の発生確率を限界まで下げて、それでも起きる事故は偶然以外には説明できないものとし、最善を尽くしたのだからしようがない」という考えが背景にある

私がそんなことを、道路における未来のフレームワーク作りのアイデアを
ブレーンストーミングし始めようとしたところで、妻が興味深いことを話しはじめた

ついさっき、これまた近所で、閑静な住宅街の中で、
標識もミラーもない十字路において、自転車を漕いでいたところ
右から車が容赦なく突き進んできて危ない思いをした

妻曰く、よそ見運転だったそうだ
妻はドライバーにとっての左側からやってきたわけだが
ドライバーはずっと反対の右側を見ていた

もしかしたら、瞬間的に自転車に対して気にかける必要がないと判断したのかもしれない

仕組みを変えても人為的な事故は避けられない

そう気づきハッとさせられた

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